知多カントリー倶楽部は、昭和38(1963)1129日に愛知県で第9番のゴルフ倶楽部として誕生しました。
池田首相の所得倍増論が叫ばれて、日本国民の所得水準が上がり、ちょうど東京オリンピックの開催で沸き返った時でした。
愛知県には、名古屋ゴルフ倶楽部と愛知カンツリー倶楽部、愛知県森林公園ゴルフ場などがありましたが、
南国ムードの
知多半島にリゾートゴルフ場が熱望されました。
幸いに昭和
36(1961)ころから、第一次ゴルフ大衆化の時流がやってきた折でもあり、
当時の政財界に精通していた前理事長の奮闘で工事が着工され、
18ホール・パー72のコースが誕生しました。